雑記

日々のことを書きます。

暇だからネットをしている

基本的にTwitterやらFacebookやらにやたらと投稿する人は暇なんだなと思っている

よっぽど暇か、金が稼げるかくらいじゃないと、何万も何十万もツイートしたり

どうでもいい写真をアップして「いいね」を集めることに意味なんて見いだせないと思う

 

普段はそんなに更新しないけど、ツイートを突然連発し始めた人は何か嫌な事でもあったんだろうなと思うし、いつも鬱ツイート(笑)をしている人があまり更新しなくなると、新しい男でも出来たんだろうなと思っている。

 

結局時間があるからやるのであって、現実の世界で楽しいことがあれば、こんな大きいようで小さな世界に籠る必要がないのだ。

スマートフォンとかパソコンとか、世界が無限に広がったような気になるだけのアイテムにはあまり価値がなくて、本当に価値があるのは隣に居る人だったり、想いを寄せるあの人なんだろうと思うのだ。

 

だから、ここ2か月くらいスマホばっかいじってる自分は相当暇だと思うし、生活水準が本当にクソだと思っているのでなんとかしたい。

昔付き合っていた子と連絡を取ってみたり、だれでもいいから飲みに誘ってみたりして、たいして得にも損にもならないことで時間とお金を浪費している。

途方もない阿呆である。救いようがない。

お風呂が好きな話

昔からお風呂が大好きだ

多分、父親の影響だと思う。

よく一緒に銭湯やら温泉やらに連れて行ってもらった。

 

そこでは普段あまり話さない父とぼんやりとだけど話すことが出来て、その時間が好きだった。

何を話したかはあんまり覚えていないけど、きっと大したことじゃない。

それでも、その時間がとても好きで、今は一人で行くことが多いけど、家族連れを見かけるとなんだかほんわかした気持ちになる。

 

今となってはほとんどソロプレイで奥さんはのぼせやすいために連れていけないし、友達はたまに時間が合えばいいが、なかなかそうもいかない。

1週間のうち、多いときは3日くらいスーパー銭湯に行ってるもんだから、1人のほうが楽しいのかもしれない。

 

今まではスーパー銭湯とか温泉とか外のお風呂が好きだったのだけれど、奥さんが実家に帰ってからは一人で家のお風呂に入るのも楽しい。

飲み物や本、タオルやスマホなど、快適生活できるものをしっかりと用意して1時間~2時間くらい入るのだ。

1人だから、文句も言われないし、時間は自由で映画を1本見ることもできる。

 

そんな一人の時間が好きで、身体も健康な気がする。

そんなどうでもいい話。

 

お風呂あがったら、熱いお茶を入れて飲む。

それもひとつの楽しみ。アイス食べるより、お茶の方が良い。

 

購買意欲がない

はてなのお題から

今年買って良かったモノというお題

 

今年も11か月を過ごして、はて、何か買ったかなと振り返ってみたけど、たいして何も買ってない。

子ども用品は色々買った。あとは結婚式の準備グッズもたくさん買った。

一番高い自分の買い物が多分車のタイヤ38000円

奥さんに買ってもらったオーダーのスーツが15万くらいかな。

婚約指輪はもう昨年の話。結婚指輪がけっこう高かったかもしれない。

 

でも、自発的に何か欲しいと思って買ったものは何かあっただろうかなと

もともと物欲はそんなに無い。というか、手に入れてもすぐに飽きてしまう。

それが分かっているから、進んで物を買おうと思わなくなってしまっている。

 

部屋には奥さんのものが増えるばかりで、僕のものはクローゼットの中と本棚で終わりだ。

何か欲しいと思える欲望がないと、仕事に身が入らない気がする。

欲望があまりないのかもしれない。性欲は減退するばかり。

 

どんどんつまらなくなっていくな。

こんなんでいいのかしら。

会えなくなる前に

人は死ぬのだということを実感したのがいつだったか

高校生くらいまではあまり考えてこなかった。

大学生になっても、そんなに分かっていなかったんじゃないかと思う。

 

社会人になって、病院で働いて、毎日ぽつぽつと亡くなる人とその家族を見ていて

なんだかとても切ない気持ちになったのと、「ああしておけば。」「こうしておけば。」

というのを耳にすることがあって死ぬっていうのを漠然と理解してきた

 

これまで親族は何人か亡くなっている

でも、なんだか遠くに旅行に行ってしまったくらいの感覚で、会えなくてもまぁいいか。と思うことがとても多い。

多分それはその時々に新しい出会いがあって、穴が空いても勝手に誰かが埋めてくれていたんだろうと思う。

 

社会人になって、死ぬを理解したと同じくらいに、交友関係がどんどん狭くなっていく感じがした

それはつまり、これまで埋めてくれた人がどんどん減っていくんじゃないかとなんだか怖くもなった

今は結婚していて、最近会えてないけど奥さんがいて子どもがいる。

この2人がきっと穴埋めをしてくれているんだろう。

死んでなくても、会いたくても会えない人はいるわけで、そういった人に会わなくても「まぁいいか。」となんとなく住んでいるのはきっと2人のおかげだ。

 

会えなくなる前にとにかく会いたい人に会うことにした

死んでも会えないし、どこかへ行ってしまっても会えない

向こうが会いたいと思っているかどうかなんてあまり関係なくて

向こうがあんまりならこっちもあんまりになるんだろう

 

減りゆく交友の中でも、会ってくれる人を大切にしたいと思った。

そんな感じ。

読まれるための文章

最近、知らない人のブログを読む

といってもランキングに上がっていたり、そこからリンクされていたりする人ばかりだけど

読んでいて思うのは、単純に勉強になるなぁという点と他人に読まれるための文章をしっかりと書いているという当たり前のことだった

みんな誰かに読んでもらうために色々凝ってレイアウトや配置、大きさとかも考えるんだろう。

 

しっかりと整列された表現と、とても分かりやすい起承転結だったり、面白い画像だったり。

僕が学生でブログが流行りだした頃には日記以下のようなブログがたくさんあった。

でも、いまはブログの数がそもそも増え過ぎたのか、僕みたいな思ったことを書くだけのブログは消滅してしまったのか分からないが、あんまり見かけることもない。

そりゃ選択の時点で削っているのかもしれないけれど。

 

携帯とPCと本でしか生きていない

だから、いろんな人の考えとか知りたくて、きれいな文章ではなくて、雑な感じが良い。

でも140文字ではあんまり分からないし、だらだら書いたんだろうなって文章がいい。

 

ネットの友達って昔は居たし、作れたんだけど、いまはどうやったらいいのか分からないね。

子育て科学

子育てを科学的に行うことはできないもんだろうか

科学的とはどういう意味かという本を読んでいてふと思った

 

科学的とはどういう意味か (幻冬舎新書)

科学的とはどういう意味か (幻冬舎新書)

 

 

 

子どもが産まれて2か月が経ち、おそらく会ったのは10日程度だろう

あまり子どもが居る実感もないし、一人での生活が続くと結婚していたことすら忘れがちになる。

 

それでも、子どもは日々育っていき、1日1日がどんどん短くなっていくのだと思う。

そんな中で、ただ何も計画を立てずに乳を飲ませ、あやすのが正解なのか、それともこの時期に与えるべきなにかがあるのか分からない。

 

子育てに正解は無いと多くの人は言うのだけれど、100点は確かにないのかもしれないが、90点~0点の回答くらいはあると思うのだ。

おそらくほぼすべての子に当てはまるすべきことと、全員にとって悪いことという振れ幅は存在していて、しかしその90点付近の回答の蓄積というのはどこにされているのだろう。

 

実験として、子どもを使って行うのは倫理的にどうかという問題もあるのだろうが、自分が仮に子育て科学の分野(こんな分野があるのか知らないが)の研究者だとしたら、どうやったら優れた子どもが育つのか

スポーツに優れた子や勉学に優れた子、音楽の得意な子など、親が育てたい方針に従って、ある種のマニュアルを整えて、理想の社会を作り上げる。

 

そんな科学がないものだろうか。

子育てはとても楽しみだけれど、それ以上に興味や知的好奇心が先行してしまう。

こんなことばかり考える時間が膨大にあるものだから、日々が無駄に流れていく。

 

自己表現好き

 

夢を売る男 (幻冬舎文庫)

夢を売る男 (幻冬舎文庫)

 

久しぶりに本屋さんをふらふらしてたら、こんな本

前にニュースになっていたような気がしないでもなく、少し読んだ。

 

その中の文章で

日本人は本当に自己表現が好きだ。世界中のブログのうち35%が日本語で書かれている。

みたいな文章があって(表現や数字は曖昧)

おそらく元ニュースがあるかなと思って探したけど、削除されている様子。

 

はてなブログのオススメを見ていても、本当にたくさんブログがある。

ビジネス系から日記まで。本当に多くの人が文章を残している。

自分も、何か残ればと思って書いている。でも、別に社会的に認められたいとかそういうものではない。

あのときにああやって書いてたなとかあとになって見返せればいい。

アクセス数とかブログについて誰かに言われたりとか、あれば良いけどなくても良い。

 

しかし、ブロガーと言われる人たちはメインなのかサブなのかは個々だが、ブログから収入を得ている。

今流行り?もう遅れてるかものyoutuberも似たようなものか。

一握りの有名になった人がそこそこ多めのお金を稼ぐ。

それを見て、ただ文章を書くだけ。ただ動画を撮影するだけ。のように見えているから、自分にも出来るんじゃないかと思っている。

だから、冒頭の本の中身のようにそういった人たち向けの商売が産まれる。

日本語の読み書きは日本人はほとんど出来るから表現が出来るような気がしている。

しかし、それはあくまで○○って楽しいね。とか○○っておいしいね。とかその程度。

おそらく表現者はそこから先が求められていると思う。でも、それはある程度進んでからじゃないと分からないのだと思う。

 

youtubeを見ていて、小学生、中学生がおそらく実家の自室であろう部屋で「レモンジーナを飲んでみた。」とか「妖怪メダルを開けてみた」とかね。

たとえば下の動画とか。

親も一緒になってやってるんだろうね。なんか見ていて悲しくなる。

どういう人がyoutuberになって売れていくのかは分からないけど、この子はダメな気がする。

おそらく何年かしたら、黒歴史になって、高校くらいになってこの動画がクラスメイトに知られて恥ずかしい思いをするんだろう。というかしてほしいと思う。

 

僕が中学生くらいの頃フラッシュ動画がとても流行っていた。

mixiとかブログも流行っていたけど、あのころは自分の顔を出すってことがあんまりなかったように思う。

mixiは顔出ししている人も居たけど、今ほど積極的に顔出ししていこうっていう流れはなかった。出していなくても問題なかったし。

 

僕自身も自己表現をして、誰かに認めてもらいたい欲求はあるのだけれど、おそらくネットがその場所にはなりえないし、仕事を頑張って、同じ部署の人に認めてもらう方が有意義に思う。

将来的には、ネットがすべてに切り替わっていくんだろうか。

 

www.youtube.com