雑記

日々のことを書きます。

臆病な自尊心

中島敦 山月記

 

高校生のときに古典の授業で習った記憶がある。

臆病な自尊心と尊大な羞恥心

 

この話をなんとなく覚えていたのか、この間友人と飲みに行ったときに話をする中でふと思い出して、心に残っていた。

 

自分は怒ることがほとんどない。

仕事でも家でも、怒るのは面倒で、怒るくらいなら自分で黙ってやった方がいいと思っている。

しかし、それはおそらく他人に対して何かを言うことが怖くてできないのだと思う。

何かを言ったときに否定されては困る。否定されて傷つくくらいなら自分の殻の中に籠ろうと。

 

おそらくほとんどのことがそういう気持ちで片付いてきた。

傷つかないように、楽な道というより、安全な道を選んできた。

どんなに楽でも、あとで面倒になりそうなら、何も言わずに将来的に安全な道を選ぶ。

それを繰り返した結果が今である。

 

仕事では、だれかにものを言うことが出来ず、一人で抱え込んでやる。

人によっては、頑張っているね。というが、他方から見れば、協力して仕事ができない阿呆である。

 

家庭でも、奥さんに家事を手伝ってもらうことが出来ない。

妊娠しているからと、今は言い訳をしているが、これは妊娠する前からの話だろう。

料理にしても洗濯にしても掃除にしても、自分がやれば思うようになるからいいと思っていた。

でも、家庭というのは、家族というのはそれではないと思えてきた。

異なる人が同居すると、ぶつかる点も多々あるだろう。それを避けて、避けて、避け続けて一体その先に何が待つのか。

 

おそらくは破綻。

 

 

だからと言って、これが分かったから何が出来るのかと聞かれると分からない。

根本的に何をしたらいいかが分からなくなってきてしまった。そこまで来たのだ。

 

仕事では4月から新しい人がくる。

その人に何をお願いしようか悩んでいるが答は出ない。今まで一人で抱え込んできたから。

 

家庭では10月には子供が産まれる。

そうなったときに、お互いにどういう形で家事をやり、子供の面倒を見て、助け合って家庭を作っていくのか。その答えを出すための話し合いすらできずに、奥さんはもう寝てしまった。

 

李徴のように、咆哮をして、また虎に戻り、山に籠るのがオチか。

おそらくまだまだ悩むことだろう。