子供が出来るということ
今年の年明けすぐに彼女のおなかの中に子供がいることが分かった。
最初は、予定と異なることによる戸惑いも少しはあったが、心配させてはならぬと喜んだ姿を精一杯見せた。
もともと、昨年の10月にプロポーズをし、今年の7月に結婚式の予定まで決まっていた。
だから、気分的には出来婚ではないと思いながら、世間から見れば、でき婚になるわけで、自分自身はどうとないが、彼女の仕事を考えると少し心配もした。
でき婚というのは、今はある程度見るようになり、芸能人もでき婚がそこそこいる。
それをもって、社会的に許されている。というのは少し違う話だと思う。
やはり、自分自身も、知らない人ができ婚をしたら、ゆるいなぁと思う。
自分自身に対しても、ゆるいなぁと思った。
しかし、社会的に許される必要があるのかと思うところもある。
社会が何を言っても、あくまで他人でしかない。大体、何年かしたら、自分から言わない限り、子供がいることや結婚していることすら忘れてしまう(指輪をしていなければ)
当事者同士で納得していればそれでいいと思うのだ。
じゃあ、自分たちはどうなのか。
最初の戸惑いは確かにあった。しかし、それ以上に自分が父親になるのだというぼんやりした考えが頭に浸透したときに、大きな喜びがあった。
彼女も、おそらく親や職場に伝えたときにどのような反応があるのかと悩んだと思う。
それでも、今は幸せそうにおなかを撫でている(つわりで鬼の形相のことも多いが)
お互いの顔を見合わせたときに、自然に笑えればそれでいい。
社会とか世間とか、そういう「目」を気にすると萎縮ばかりしてしまって、「すでに確かにそこにいるであろう子供」が不幸なだけではないか。
確かに、批判を受けたり、陰口をたたかれることもあるだろう。
しかし、それは私たちの問題であって、私たちが暗い気持ちなら子供も暗い気持ちになると私は思っている。
子供が幸せに生まれてくることを今は切に願っている。
こんなブログを飽きるまでは、続けてみようと思う。
現在9週目。